MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“反戦へー祈りとも呼べる願いを込めて”

9「戦争の悲しみ」

🇻🇳ベトナム

バオ・ニン

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蟻が象に勝った。その代償は途方もない悲しみ。ベトナム戦争は世界史の流れを変え、ベトナムは勿論、加害国アメリカの社会や文学に至るまで大きく変えた。ベトナム戦争がなければ、「ライ麦畑でつかまえて」もロックフェスも生まれなかっただろう。アレクシェーヴィチの作品でも分かる通り、戦争の最大の被害者は最前線の兵士と庶民であり、決して権力者や富裕層ではない。著者バオ・ニンは戦中に兵士を経験し、戦後に庶民として再出発した為、その両方の光と陰を知っている。だから「戦争の悲しみ」は、”戦争”の話であると同時に、”戦争の齎した悲しみ”の話である。死体に群がった蝿が血の池で溺れて大量に横たわる、罠にかかり肉体欠損に泣き叫ぶ米国兵、先程まで隣にいた仲間が斃れる恐怖、こんな描写は序の口、その多くはバオ・ニン自身が戦中に見た地獄絵図だ。主人公キエンは美しきかつての恋人フォンと11年振りに再開する。しかし彼女は戦中に夥しい数のレイプを受け、身も心も変わり果てていた。キエンも戦後は悪夢に魘され続ける。そう、戦争は終わってからも、いや寧ろ終わってからの方が、地獄なのだと知る。戦後に平和が続けば、必然的に世代交代で戦争を語る者はいなくなる。日本の現政権が軍事費増大を進めることが出来るのは、戦争の怖さを語る者が絶滅危惧種になってきたからだ。他人事ではない、戦争文学も明日は我が身と捉えなければならない。そして常に反戦を意識し、蔑ろにしないことこそ、全ての戦争文学著者が願う最高の名誉となるに違いない。