MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“文学は権力の対義語たりえるか?”

8「楽園への道」

🇵🇪ペルー

マリオ・バルガス=リョサ

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リョサは私の1番好きな作家だ。そして嬉しいことに、近年リョサの評価は更に高まっている。ラテンアメリカ文学といえば、ガルシア=マルケスがやはり代名詞、しかし若手の中南米作家はその固定観念を嫌い、打破するために脱マジックリアリズム、即ちリアリズム作品を書こうとする。ところがその際、もう1人の南米文学の巨匠リョサが聳え立つというのだ。リョサは官能・風刺・越境的と筆幅が広い作家だが、歴史上の人物をモデルにした長編は特に傑作揃い。そして作品ごとに最適な形で、構造・文体・人称・カットバック・フラッシュバックの頻度を調整し、自在に操る。複数人視点で語ることで、多様で異なる階級・性・年齢・思想の人物を並列対比しながら描くのが目的だ。「楽園への道」も同じく、女性解放運動家・作家・社会主義者フローラ・トリスタン、印象派画家ポール・ゴーギャン、2人の生涯が交代進行する。そして2人は血縁関係、祖母トリスタンはリョサの母国ペルーの貴族、最後のアステカ皇帝モクテスマ2世の子孫に当たる。パリに移住した家族が彼女を産み、やがてゴーギャンが孫として誕生する。2人は歴史上で邂逅することこそないが、これ以上ない程に魅力的な材料だ。勿論いくら作品は材料や設定が素晴らしいとはいえ、この作品が世界文学全集に選ばれる理由は、ひとえにそれを捌くリョサの筆力あってこそ。リョサはそこに天の声として、度々”お前は…”と優しく語りかけながら登場する。これがまた理不尽な主人公たちに対し、愛おしさのアクセントを効かせている。リョサノーベル賞受賞理由は、”権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた”。トリスタンは資本家と権力と男権社会に立ち向かう。ゴーギャンサマセット・モーム「月と6ペンス」のモデル。史実の通り裕福な株式仲買人から、家族も財産も捨て画家となり、タヒチで真の芸術を追い求め、生前は認められないまま逝った。2人とも有名人なので、結末も分かりきっている。それでも2人と喜怒哀楽を共にしながら、次の展開に手に汗を握らせ読み進めたら止められない。ラテンアメリカ文学史に位置付ければ、その迫力は”リアリズムの巨匠による驚異的リーダビリティを持ったマジックリアリズム”と言って良い。我ながらとんでもない作家を好きになってしまったと思う今日この頃だ。