MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“悍ましきダンツィヒ行進曲”

4「ブリキの太鼓

🇩🇪ドイツ

ギュンター・グラス

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子供と大人の戦争や革命の受け取り方は全く違う。歴史を文学に取り入れる時、最も効果的で印象的な作品に仕上げるには、子供の視点を取り入れることだ。「アンネの日記」も「悪童日記」も「ペインティッド・バード」も子供が主人公でなければ、これほど有名な本にはなっていないはずなのだ。子供は未だ純粋で何色にも染まっていない。明晰な大人の思考より、直感的な子供の思考の方が生々しく、弱者へよりリアルで悍ましくスポットを当てることができる為だ。しかし一方でこれは難しい。子供の行動は本能的で大人より真理に近い描写が可能な一方、職業や地位などの人生経験は未確立、限定的な描写しか出来ないからだ。大人になりきれない子供、子供のまま育ってしまった大人、見渡してみれば現実はなんと稚拙でグロテスクだろうか。「ブリキの太鼓」はそこに一石を投じる。主人公オスカルは3歳で肉体の成長を止めて頭脳は進化した美少年、更に大人以上の暴力手段で”ドラムと金切り声でガラスを割れる能力”を持つ。要するに見た目は子供、素顔は大人の「名探偵コナン」と同じ、いやそれ以上の設定、プロットの完全勝利と言える程だ。それをピカレスク小説に用いれば、精神面の残虐な子供と肉体面の残虐な大人、両方を描写できる。オスカルの憧れはラスプーチンゲーテで対照的、要は年齢と発想が幼稚な信頼できない語り手。更にグラスの故郷と同じ、ポーランドとドイツの係争地ダンツィヒが舞台。加えてエロ・グロ・ナンセンスなエピソードの数々。玉葱を剥き、スカートを覗き、鰻がエグいことになる。とにかくインパクトある設定で、ナチ党ドイツの蛮行を炙り出す意欲作。「ブリキの太鼓」は出世作だが、グラス本人は十分に描き切れていないと考え、「ダンツィヒ3部作」として続作を書いた。ノーベル賞受賞理由の通り、遊戯と風刺に満ちた寓話的作品で、歴史の忘れられた側面を浮き彫りにする作品だ。