MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“灰に埋もれた世界地図の記憶”

7「庭、灰」

🇷🇸セルビア

ダニロ・キシュ

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“世界”という言葉は、中々に定義が難しい。例えば”世界史”なら地理的、”世界観”なら抽象個人的、”湖底の世界”なら有限事象的と、それぞれ意味合いも物理的範囲も大きく異なる。要は虚実ともに個の人間が共有可能な概念、それが”世界”なる言葉に共通のイメージだ。「庭、灰」は、「若き日の哀しみ」、「砂時計」、とあわせて著者自身の「青春3部作」の1冊。いずれも個人と世界の認識統一を図る、ビルドゥングスロマン的な作品。「庭、灰」は鉄道員(当時のエリート)の父の後を継ぎ、世界地図よろしく架空の「バス・汽船・鉄道・飛行機交通時刻表」を完成させる物語。ユダヤ人ゆえ迫害され、幼くして失った父を故郷の知人から調べていく、すると父の本当の姿が徐々に浮かび上がるが、しかしこれも”信頼できない語り手”形式で、結局どこまで本当か分からない。従い仮定を仮定で埋めていくので、どうしても幻想や比喩が多くなる。というより異常に多く、どれも黄昏を想起する美しい描写となっている。父の記憶を探るにつれ、断片的で曖昧にならざるを得ず、描写が人→物→景色→街→時代と拡大していく。過去についての、記憶の縮小と想像補完の肥大、この対比が徐々に逆転していく。キシュはその機微の変化を詩的文体で読者に追体験させる。庭は個人の世界の外縁の象徴、灰は世界の内縁が個人に飛び火した象徴。燃え尽きた故郷の記憶を取り戻すべく、燃え上がる主人公の純粋な野心が哀愁に満ちている。個人が世界に、世界が個人に、同化していく。その手法はカズオ・イシグロと同じで、繊細な文体を以て余韻を残す、キシュもまた東欧らしい偉大な作家だ。