MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“酒呑童子の酔いどれ紀行”

35「やし酒飲み」

🇳🇬ナイジェリア

エイモス・チュツオーラ

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アフリカは呪術の伝統が今も強い、特にサブサハラ地域は部族の密集地帯で、ニジェール川デルタが形成するナイジェリアは多部族で人口も多く、口承文学が豊富にある。”アフリカ文学の父”チヌア・アチェベは、歴史を題材に西欧とナイジェリアの邂逅を描いた。しかしこの形式はあくまで西欧の伝統に則ったリアリズムである。その点、チュツオーラは呪術的なアフリカ社会と相性の良いマジックリアリズムや、奇想天外なファンタジーとも分類可能な小説を書いた先駆者だ。まず10歳の子供の頃から酒を飲んでいる、この時点で色々と突っ込み満載だがその説明もない。法律ではなく伝統が支配するアフリカでは、実は儀式上で子供が飲酒することは珍しくない。しかも彼はアル中で毎日やし酒を飲むことしかしていない。しかしある日、腕利のやし酒醸造主が死んでしまう。困った彼は冥府の醸造主を連れ戻すため、死者の町へ行き、奇想天外な旅を繰り広げていく。喋る骸骨の案内、親指から生まれた英雄など、ひたすら有り得ない登場人物に導かれ、時空間の設定も曖昧なまま物語は進んでいく。しかし実はこれら全てはナイジェリアの多数派民族、ヨルバ族の神話に基づいて緻密に組み立てられている。マジックリアリズムは現実を文体や描写で巧みに非現実に変貌させるが、「やし酒飲み」は文体や世界観そのものが非現実的であり、どちらかと言うとファンタジーに近い。ただしアフリカの口承文学の民話に描かれた、多分に呪術的な伝統に根差している点で文学としての価値は非常に高い。またチュツオーラはこの小説を英語で著したが、ヨルバ語の音節や口承文学としてのリズムがきっちり復元されている。逆に言えば近代小説の持つ各ルールや特徴を無視しているが、それ故に作品の自由度は否応に増す。伏線回収があったりなかったり、同じ話がループしたりと、本文でその世界観が直接名言されないマジックリアリズムでありながら、どこか小説としての通軸がある、レヴィ・ストロースの「野生の思考」の合理性を感じられるのだ。それは厳しい部族社会の復讐観や、村特有のコミニティと縄張り意識を含め、非西洋的な社会の非西洋的文学も世界文学として通じるのだろう。その自信から池澤夏樹も本書を世界文学全集に入れたに違いない。