MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“思い出ぽろぽろ手紙リレー”

36「モンテ・フェルモの丘の家」

🇮🇹イタリア

ナタリア・ギンスブルク

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手紙形式の小説は書簡体小説と呼ばれる。探してみると古典から現代文学まで意外と多い。ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、三島由紀夫「レター教室」、夏目漱石「こころ」、ウェブスター「あしながおじさん」、シェリー「フランケンシュタイン」、モンテスキューペルシア人の手紙」、ドストエフスキー「貧しき人々」、デュマ・フィス「椿姫」、そして世界文学全集に収録されたギンスブルク「モンテ・フェルモの丘の家」だ。最近ではSNSや新聞記事やメールなど、他にも多種多様なコミニュケーションツールが文学にもそのまま登場するが、2000年代までは専ら手紙が主役を演じていた。では書簡体小説の魅力とはなんだろう?、1つ目は主題のコラージュ的クローズアップができること。例えばラブレターなら恋の感情だけを強調でき、余計な情景描写や時間軸や登場人物など気にせず、主観的に語ることができる。2つ目は告白形式の作品が多いこと。要は最初の時点で結末が概ね分かる、若しくはある程度は予想できるのだ。伏線回収や心の機微を如実に描ける分、無駄のない緻密な構成が必要で小説巧者のテクニックを披露できる。3つ目に1人称単数形式が基本となること。手紙は1人で書くもので、往復書簡であれば同じく別人物の1人称単数視点が繰り返される。「モンテ・フェルモの丘の家」が他の書簡体小説と異なる点は、とにかく登場人物が多く、それぞれの人物が思い出話に耽るため時系列もバラバラなこと。逆に読者はそのパズルを組み立てていくのが読みの楽しみと言える。”モンテ・フェルモの丘の家”ことマルガリーテの館、キラキラした若者たちか過ごしあった青春の詰まった家、ずっと今が続くと思っていた、永遠に思えた若さと理想と自由と自信に満ちたあの時。しかしその家がなくなり皆が離散した後に、不可逆的に迫る老いと死と共に寂寞と喪失が思い出を追い越していく。喜怒哀楽と悲喜交々が手紙という断片的な想いと構成を、多くの登場人物が文通することで、複雑な関係性が連結して全貌が明かされる。人生の儚さを知る1冊だ。