MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“軽蔑と侮蔑ーそして差別と離別”

34「軽蔑」

🇮🇹イタリア

アルベルト・モラヴィア

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現代イタリア文学には概ね2つの潮流がある。まず1つは豊かな自国の歴史を背景に、寓意性や歴史に根差した幻想的な文学や古典引用を駆使するタイプの作家。典型例はカルヴィーノエーコ、ランペドゥーサ、タブッキ、ブッツァーティ、ピランデルロなどだ。次に徹底したリアリズムの作家たちで、パヴェーゼ、ギンスブルク、モランテ、パゾリーニがいる。しかし名実ともに突出した巨匠がモラヴィアだ。当時最先端だったコラージュを駆使したゴダール映画と相性が良く、長編も短編も質量ともに評価が高く、国内外は勿論のこと日本でも最も翻訳されたイタリア純文学作家と言える。イメージとしては”冷静な三島由紀夫”。派手な粗筋やどんでん返しがあるわけではないが、日常を繊細で的確な完璧な文章と、手に取るような心理描写で、浮き彫りにすることを得意とする、寧ろ伝統的なフランス文学の系譜と言っても良い。モラヴィアの場合もやはり1人称の心理掘り下げていく。この手の作品は自問自答が多く、クッツェー三島由紀夫も良く使う手法だが、モラヴィアは少しずつ心情の変化を描いて進めていき、それが徐々に悪化する夫婦の距離が非常に上手く伝わる構成になっている。まず主人公は仕事に精を出す既婚男性のシナリオライター。しかし日中デスクワークで疲れ気味、妻との仲も最初こそ良く努めようとしていたが、ページを捲る度お互いストレスが溜まっていく。しかし途中で映画監督が登場し、カプリ島で「オデュッセイア」の映画作成ロケが決定する。この映画化でフロイト的解釈が焦点となり、シナリオライターと妻と映画監督の価値観が三竦みで対立する。更にフロイトと「オデュッセイア」もまとめて、見事に連鎖反応させたラストに繋げる。この手際が鮮やかで、夫婦と仕事、男と女、芸術とビジネス、これらの二項対立がそれぞれに孕みがちな”軽蔑心”を、構成と物語の両方でまとめ上げる。読者に主人公への喜怒哀楽の起伏を餌付けさせ、共感と反感の山と谷を何度も昇降させる。そして気付いたら破局し離別する。ノンストップで油断できない、1人称リアリズム小説の傑作だ。