MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“冒険心と逃避心ー出航の座礁と航海の後悔”

26「ロード・ジム」

🇬🇧イギリス/🇵🇱ポーランド/🇺🇦ウクライナ

ジョゼフ・コンラッド

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コンラッド英語圏の代表的な作家である、と同時にウクライナ出身でポーランドに移住した特異な経歴も持つ。従ってその文学観は同時代のキプリング等とは異なり、所謂オリエンタリズムに囚われない、独自の世界を作り上げている。加えて作家以前には船乗りとして世界中を巡っており、細かい航海技術や地理誌の蘊蓄に溢れるエキゾチックな冒険譚が魅力、英文学でも類例がない作家の怒涛の展開が待つ作品が「ロード・ジム」だ。まずアラビア湾で乗船が嵐で座礁し、主人公ジムは救命ボートに1人だけ乗り込み、仲間全員を見捨てた形でアジアの未開文明の地に流れ着く。自分以外の800人は全滅しており、その責任を問われ航海士の地位を剥奪される。ジムは壮絶な自責の念に駆られながらも、何とか港町を転々としながら生き延びる。やがてジャングルの奥地で部族間抗争を指揮して勝利、白い肌のシャーマン的な英雄に崇め祀られ、部族の美少女との結婚にまで至る。しかし些細なことから失脚し、裏切り者として処刑されてしまう。粗筋だけ見れば起伏のある派手なストーリーに目に行く、海洋冒険小説の雰囲気が漂う。しかしジムは例え原住民の地で大出世しようと、常に過去の卑怯な自分に対して告解と煩悩と後悔と罪悪を全編通して語り続ける。つまり冒険というより逃避行の小説なのだ。人間というのは追い詰められた時に本性が出る。一度は全てを失ったジムだが、奇跡的にまた現地の英雄に成り上がる。ここでジムが有頂点にならずに暗い過去を葬らないまま苦悩するから、「ロード・ジム」は陳腐なディズニー映画に陥らず、きちんと人間臭い純文学に戻ってくるのだ。確かに世界中の海と東南アジアを舞台に渡るマクロな設定も魅力的だ。しかし軽蔑と失敗から立ち直ろうと足掻くミクロの心理はより丁寧に描かれている。前者と後者のバランスが取れているから、コンラッドは大衆作家としても成功したし、古典として今も語り継がれる偉大な作家としても名を残している。「ロード・ジム」は特にその文学観がよく伝わる作品に仕上がっている。