MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

"試してみましたクーデタ!”

18「クーデタ」

🇺🇸アメリ

ジョン・アップダイク

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小説はどれほど自伝的でも、創作物である限りフィクション、即ち架空の物語である。そもそも1人の人間が語る以上、科学的であろうと歴史に基づいていようと、どうしても主観的な想像にならざるを得ない。作家の創造において、最大の設定は物理的にはSFで、社会的には国家が最大の設定である。アップダイクは「クーデタ」でその実験を試み、且つ成功している。現実に限りなく近いモデルが存在しながら、架空の国家、架空の大統領、架空の地理、架空の自然、架空の人口、架空の歴史、架空の国際関係、架空の政治経済政策。実在しないからこそバイアスを排除し、作家も読者も概して客観的な見方を獲得できる。アップダイクはアフリカの架空のイスラム国家クシュに細かい設定を設け(恐らくモデルは南スーダン)、母国の超大国アメリカとの国際関係を描くことで、アメリカが国際社会でどう見られているのか分析した訳だ。鍵になるのは4人の妻と1人の愛人、というのもイスラム圏では4人まで最大が許されるからだ。そして5人とも出自や人種が悉く違う。愛人は地元部族の女、妻4人は年上の姉御肌の妻、大統領のアメリカ留学時の同級生のエリート妻、酋長の娘で体育会系の妻、綺麗な若妻、という感じ。タイトルからもクーデタが起きると分かるので、重要なのはクーデタの結果ではなく過程。即ち反骨精神を持つ部下と抵抗する民衆に地位を追われ、クーデタで大統領は失脚する過程、これを詳らかにする試みには架空国家の方がシミュレーションしやすい。そして架空国家と分かっていながらリアリティがある。アフリカのみならず冷戦期のイランやベトナム等は、クーデタの代わりに革命や戦争が起こり、この小説と同じ道を辿った典型例だ。そして心なしか衰退途上国となりつつある日本も、近い将来アップダイクの描く世界が現実になりそうに思えてならない。