MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“灯台下暗しの長い1日”

17「灯台へ

🇬🇧イギリス

ヴァージニア・ウルフ

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20世紀を代表する作家を3人選べ、と有識者に問えば多くの人が下記3名を挙げると思われる。ジェイムズ・ジョイスフランツ・カフカマルセル・プルースト、各人とも文学に革新的な手法やテーマを遺したからだ。ジョイスは”意識の流れ”で文体面を、カフカは”不条理文学”でテーマ面を、プルーストは”無意思的記憶”で構造面を、一変させた。このうちジョイスの”意識の流れ”文体を発展させ、プルーストの記憶によるフラッシュバックとカットバックを多用したのがウルフだった。多声的で時系列もジョイスより複雑、現実世界の時間推移は2日程度だが、回想を頻繁に挿入することで、スコットランドのスカイ島の灯台付近で暮らした一家の別荘生活を、断片的に紡ぎ重ねていく。ストーリーは3部構成、主役はほぼラムジー家8人の住人。第1章は一家のホームパーティーのため、最も登場人物が多く客人として詩人や学生など、一家に縁ある人々も交え互いの意識をスイッチさせながら描いていく。第2章は非常に短く第1章から10年後の設定で、第一次世界大戦後の変化を年表の様に簡潔に読者に経過報告する。第3章は再び変化を遂げた者たちが灯台に再集結、ここで10年前と比べた喪失と久々の再開に、各々の複雑な気持ちをぶつけながら過去と向き合う。ウルフは水場が似合う作家。「波」も舞台が海辺で文体構造もほぼ同じだが、技巧を中心に描写している。対して「灯台へ」はストーリー自体も面白く、家族のエピソードに世界大戦の激動を挟んだり、歴史的事件を陰に陽に描いたりする。天の声もなく人間関係が等しく描かれるため、その点でクンデラやフォークナーに似ている。しかしその視点の切り替え人数と頻度が非常に多く、一読して実験的作風だと分かる。尚且つ叙情性と展開の面白さ、キャラ立ちとリズムと読者の想像力を掻き立てる点で、この試みは各種の特徴がバランス良くまとまっている。プルーストジョイスもフォークナーも頑張れば何とかまだ映像化可能だが、「灯台へ」はほぼ全編が過去の回想になるため映像化不可だろう、仮に出来たとしてもイベントもなく時制も複雑で理解できなくなる。その意味で「灯台へ」は小説の極致、文学でしか描けない作品だと言える。