MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“死に際の老いぼれよ!若き生き様に散れ!”

33「老いぼれグリンゴ

🇲🇽メキシコ

カルロス・フエンテス

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北米は先住民を迫害し、中南米は先住民を強姦して支配した。だから北米には白人が多くて人種差別も多い、混血の多い南米には人種差別は少ない。人種が違えば文化も政治も当然違う。アメリカは奪い続けた国といえる。メキシコは米墨戦争以前まで現在の倍の領土を有していた。奪った犯人は勿論アメリカ。この戦争でメキシコが勝っていれば、カリフォルニアもテキサスも、Googleなど巨大IT企業や、或いは世界の覇権さえ、メキシコが握っていたかもしれない。メキシコは新大陸発見以降、ヨーロッパに蹂躙され続けたが、独立後はより強大なアメリカに蹂躙される。フエンテス「老いぼれグリンゴ」はメキシコ人ではなく、アメリカ詩人アンブローズ・ビアスを主人公にした点で特異だ。要は”アメリカ(人)から見たメキシコ(人)”、”メキシコ(人)から見たアメリカ(人)”、それぞれを客観的に描こうと試みた小説だ。グリンゴはメキシコ人のアメリカ人に対する蔑称。ビアスは「悪魔の辞典」や「アウル・クリーク橋の事件」で有名な作家、元軍人で後にジャーナリストとなり作家へも活躍の場を広げた実在の人物だ。南北戦争米墨戦争を経験した世代、また急速にアメリカが領土拡張をしていた時代。晩年のビアスの行動は記録に残っていないが、それをフエンテスは想像で組み立て死地にメキシコを選ぶ設定にした。今度はメキシコ革命を前に、中年メキシコ人アローヨという反政府軍の将軍、裕福ゆえに刺激が足りない若き米国女性ハリエット・ウィンズロウを添え、グリンゴとは対照的な年齢・性別・人種・思想・職種の人間と行動を共にする。人生観の違いを人称を目まぐるしく変える事で、互いに異文化同士だった人間を近づけさせていく。当然グリンゴの心情も徐々に変化していく。この点は人称単位で同一人物が過去・現在・未来を語り、個人的にフエンテスの作品で最高傑作と感じる、「アルテミオ・クルスの死」の応用と言える。この目まぐるしい人称交代の技巧が高く、物理的にも心情的にも読者と主人公たちを近づけさせる。すると次第にアメリカとメキシコの啀み合いの歴史が、愛憎孕むボーダーレスな人情劇に、気付かぬうちに昇華している。勿論ストーリーや情景描写も素晴らしく、早撃ちガンマンや灼熱の砂漠に革命やテキーラ、これぞメキシコという描写が続く。”メキシコだったかもしれないアメリカ”を想像して、アメリカ文学一強の新大陸に一考と一石を投じた傑作だ。