MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“半世紀越しの街とその不確かな壁”

29「太平洋の防波」/ 30「愛人」

🇫🇷フランス

マルグリット・デュラス

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東インド会社のイギリス社員で、インド官僚として現地で成功した者を”ネイボッブ”という。本国より遥かに多くの富や土地を支配した、所謂アメリカン・ドリームのインド版だ。フランスもアフリカとインドシナを中心に支配した。デュラスはフランス領インドシナに生まれた、カンボジア・ドリームを追って移住したフランス人だった。その鮮烈な体験を著したのが「太平洋の防波堤」、更に50年後に同じテーマと違う文体で再構築を試みたのが「愛人」だ。それぞれ独立した作品としても素晴らしいが、若い才能と晩年の職人芸を読み比べ出来る、世界文学全集ならではのチョイスとなっている。まず若き日の「太平洋の防波堤」は、カンボジアに移住した白人が現地人を搾取しながら金儲けを企んだ、マングローブの防波堤事業に失敗し、家庭崩壊する中で主人公の少女が性と恋に目覚める。「鉄の時代」でも述べたように差別はピラミッド構造を生む。デュラスも本国フランス白人から移住者インドシナ白人、白人から現地人、更に現地白人間の貧富の格差を目の当たりにする。更に昔ならではの家幼く支配的な家庭間格差も存在する。ここでは母が事業失敗の八つ当たりを兄と妹に向ける。ネイボッブの成功した重商主義は既に下火となり、時代は帝国主義で国家第一主義、植民地の失敗した白人など本国は助けない、そして優越感に浸っていたはずの現地カンボジア人にも舐められる。しかしこの物語は完璧ではない。恋愛も家族関係も植民地との関係もらラストで”訣別”こそしたが、”決着”は出来ていない。そこで十分なキャリアを積んだデュラスが、ベテランとなってから挑んだ作品が「愛人」というわけだ。タイトルで分かる通り、今回は「太平洋の防波堤」で消化不良だった愛がテーマ。”18歳で私は老いた”のフレーズが強烈で、全てを物語っている。そのため瑞々しい少女の描写はなく、反対に主人公の少女はエロティックでリアルな大人の階段の昇り方をしてゆく。今度の舞台はベトナムで、母は教師として真面目に働くが役人に嵌められ土地を失う。そして母の代わりに兄が阿片に染まり暴力を振るう。そんな中でボート乗り場で華僑系青年と恋し、愛人関係を結んで縺れながら性体験に目覚めていく。展開は「太平洋の防波堤」と同じで、登場人物や設定を換骨奪胎したといえる。一方で決定的に違う点は”人称”の使い方だ。「太平洋の防波堤」は3人称で他者視点、「愛人」は1人称で語り口からしても、すぐに自伝だと分かるほど心理描写が濃密。実際ほぼ会話文がない独白、つまり過去と現在が交錯する所謂”意識の流れ”文体になっている。ストーリー性でいえば「太平洋の防波堤」が面白いだろう。一方で「愛人」は映画監督としても既に成功していたデュラスが満を持して書いた作品で、複雑な技巧とコラージュが目を引く。文学としてはこちらの方が高度で、実際「愛人」はゴンクール賞を受賞し、大ベストセラーとなった。村上春樹が過去作を最近リライトし、「街とその不確かな壁」を書いたように、自伝のリライトを行う作家は少なからずいるが、デュラスは技法と人称をガラッと変えて最も成功した作家の1人だ。