MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“澄み渡るケニア大地の美しき日々”

13「アフリカの日々」

🇩🇰デンマーク

イサク・ディネセン

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クッツェー「鉄の時代」は、入植者の白人と原住民の黒人が衝突した異文化摩擦の例だ。対して「アフリカの日々」は異文化交流が成功した例だ。勿論、前者は歴史過程の一般論の多数派、後者は少数派という違いはある。少なくとも21世紀の所謂グローバル化時代になるまで、ハンチントンの言う様に「文明の衝突」は続いていた。そんな中、何故ディネセンは異文化理解に成功したのか?、まず彼女は1914年から1931年の17年にかけて、アフリカはケニアにコーヒー農場を建てて経営する。発端はサファリ好きのフィンランドの男爵と結婚し、当時イギリス領のケニアに白羽が立ったため、ケニアが選ばれた。しかし夫が梅毒にかかりやむなく帰国、更に関係悪化で離婚、独身となった彼女はケニアの農園に残り、独り身で現地社会に溶け込まざるを得なくなった。これが異文化理解に成功した理由の1つだろう。またケニアは白人入植者が少なく、偶然にも現地で親交を結ぶイギリス貴族デニスは、自由と放浪を好むタイプだった。2人はキクユ族・マサイ族・ソマリ族とも仲良くなり、西欧式治療や学校設立など積極的に支持する。ケニア人は農地経営をする上で取引相手でもあり、互いに自然と受け入れ合っていく。そう、時間を確保し偏見を取り払えば、異文化理解は充分に可能なのだ。しかし農場経営は上手くいかず破産する、勿論ここでも彼女は現地のアフリカ人に八つ当たりはしない。話はシンプルだが、この偏見のない観察力と豊かな感性を持って、自身の不幸の記述を最小限に留め、美しい自然と人の営みを描ききる。そこから伝わるのはケニアへの愛、本当に幸せそうな日々の記録だ。私もこんな”アフリカの日々”を送れるなら、体験したいと憧れを持った。