MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“炭素で錆びれた鉄の逆襲”

12「鉄の時代」

🇿🇦南アフリカ

ジョン・マクスウェル・クッツェー

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古代から20世紀までを1化学元素記号で表すと、何千年もの昔から”Fe”即ち鉄の時代だという。20世紀以降は現在に至るまでは石油科学文明中心、”C”即ち炭素の時代だという。紀元前にヒッタイトが鉄を武器に古代オリエントを制した。表題の”鉄の時代”とは古代ギリシアの”青銅時代”以後、ドイツ宰相ビスマルク的な鉄血に支配された、暴力・差別・支配主義が続いたことを意味する。クッツェー作品の主人公はどれも、様々な異端者と欠落者が理不尽な社会において、更に加速しながら没落し、落ちる所まで落ちていく様を冷静に簡潔な文体で描く。更に彼の作品はほぼ全てが古典をリライトし、且つ成功させている点で破格なのだ。「鉄の時代」もアパルトヘイトをマイノリティ目線で、じっくり深く描いた作品である。主人公は癌で死を目前にしたラテン語教師の老婆ミセス・カレン。彼と若い黒人ホームレスの男が出会い、施し合う歪な共生関係を築く。どんな差別であれ単純な二項対立ではなく、大きな差別の中に小さな差別がある。アパルトヘイトで言えば、黒人と白人の対立、白人内の格差、カラードと黒人の格差、黒人による黒人の格差、が存在する。だから白人と黒人が仲直りした今でも、形骸化した格差が南アには残り、ヨハネスブルグは殺人件数率が世界トップクラスで多い。クッツェーは差別という抽象的な差別構造を、マイノリティ目線で突き詰めることで、暴こうとした。だから彼の文体は固い、あくまで感情を排して現実的に冷徹を通す。作家にも色々な才能の形がある。クッツェーは”硬質なダイヤモンドがギラリと光る様な才能”、とでも言おうか。最後の”鉄の時代”から、”最初の”炭素の時代”へ、人類は果たして格差や差別の問題を克服できるか?ノーベル賞受賞後、”北半球の文学”に黙殺されてきた、”南半球の文学”を築くべく、現在はオーストラリアと南米を拠点に、変わることのない異端者目線を研ぎ澄まし、鋭く固い筆に力を込めて活動を続けている。