MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“広く深い海から狭く浅い浮島を眺める”

23「サルガッソーの広い海」

🇩🇲ドミニカ国

ジーン・リース

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西洋古典をリライトする試みが近年、非常に多くなってきている。トリニダード・トバゴ初代大統領にして歴史学者、エリック・ウィリアムズが「資本主義と奴隷制」で喝破した通り、中でも島国ばかりで面積も小さく、世界史でもほぼ無視されてきた地域が、他でもないカリブ海だ。今日でこそナイポールやコンデやオルコットなど突出した文学を送り出しているが、その先駆的作品が「サルガッソーの広い海」だ。著者はドミニカ国出身のイギリス作家ジーン・リースで、シャーロット・ブロンテの名作「ジェイン・エア」のドミニカ出身の超脇役にスポットを当て、カリブの無風地帯サルガッソー海を渡る前日譚となっている。「ジェイン・エア」では僅かな登場しかない彼女を、なぜブロンテは主役に抜擢したのか?、ブロンテの生きた当時のイギリスは既に産業革命の黎明期、帝国主義として所謂”近代世界システム”を構築し、資本主義輸出経済で帝国主義の先頭を走っていた。日本の高校世界史の教科書を読めば分かる通り、カリブ国家はその超周辺部として記述すらなく、この無視度合いは蔑ろにされてきた脇役の姿と重なる。つまりリースは非道な大西洋奴隷貿易の怨嗟を、虐げられたドミニカ国の歴史と、由緒ある英文学の名作中の脇役に見立て、しかも高いレベルの作品に仕上げる事で、イギリス古典文学に英文学で持って”復讐”に成功している。だから「ジェイン・エア」を読む者は、「サルガッソーの広い海」も読まなければならない。前者がイギリス側の持つカリブ国家の”高慢と偏見”を、後者がカリブ国家側の持つ西欧列強への”矜持と伝統”を、相互補完すべきことだと教えてくれる。当時の情報量を鑑みれば、ブロンテはカリブ海に無知だったろう、それは仕方がない。しかしグローバル化の進んだ現代は、それこそ文学や旅や学校でいくらでも調べられる。現代人は他国の歴史に無知でいることは、”無知の恥”とされる時代に生きているし、その様に生きなければならない。強者の歴史だけが世界史や文化を淘汰してはならない。なんといっても文学は弱者の強い味方なのだから。