MarioPamuk’s diary

海外文学と学術書の短文感想&忘備録

“浄瑠璃の如きわが水俣への鎮魂歌”

1「苦海浄土

🇯🇵日本

石牟礼道子

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世界文学全集の堂々1位は文句無しに日本文学の「苦海浄土」に決めた。当然だが決して日本贔屓の結果ではない、客観的にも妥当な順位だろう。傑作という言葉では形容し足りない、“奇跡の書物”と讃えたい作品だった。疫災は即ち人災である。本当に怖いのは病原菌ではなく、パニックに陥り理論破綻した行動を取る人間なのだと。それを知っていたからカミュは「ペスト」を書いた。ならばその上位互換の公害病は”国災”といえる。熊本県水俣市の日本窒素工場に有機水銀が排水された。そこに生息する魚を食べた漁師や町人を中心に謎の奇病”水俣病”が発症。患者は脳中枢や神経が毒に侵され、全身の麻痺や海の幸は苦海に変貌し、黒い赤子が生を受ける。マスコミも政府も工場も街も見て見ぬ振りを決め込む。同郷出身主婦の石牟礼道子は憤り、事件の救済を待つ市民を記録し本書を出版した。そのため3部作第1章の「苦海浄土」は事の起こりから患者や病気の解明、工場提訴までが描かれる。時系列に反するが、次に出版されたのは3部作第3章「天の魚」で、15年に及ぶ市民と会社、市民と国家との決着を描く。最後に3部作第2章「神々の村」が刊行、著者自身が患者のカルテや東京本社への取材や株主総会出席、日本窒素会社(チッソ)やスト参加学生との対面や書面と、膨大な資料を基に作成したため、3部作で最も執筆に時間がかかった。しかしその分、3部作屈指の凄まじい熱量と完成度を誇る。東大出身の会社幹部やエリート官僚、中でも首相になる前の橋本龍太郎政務次官を始め、被害者の水俣病患者は悉く見捨てられていく。その姿勢は福島原発事故後の東電と政府の対応と全く同じ、誰も責任を取ろうとせず、現に歴史的事故を起こしながら水俣工場は現在も操業中である。当時の熊本と東京は市民にとって、距離的にも文化的にも余りにかけ離れていた。初めこそ国が助けてくれると信じていた患者は腑を煮えくり返し、極度のハンストや社長直訴に自身の指を契りに血書を迫るシーンもある。結局、水俣病の科学的解明は国や会社ではなく、民間の在野の研究者によって成された。余りに多くの死者の心の叫びを掬い、少しでも多くの救いを願った本書はまた、熊本弁が織りなす詩的な文章の美しさが世界中で翻訳され、東南アジアのノーベル賞マグサイサイ賞”も受賞した(但し辞退)。例えば食の描写が非常に豊かで、鮮魚の生刺身はグルメ通も唸る巧みさ。自然描写もまた美しく、樹木草花の名前が百花繚乱の如く出てくる。「十六夜橋」でも見られた死者と生者の対話の様な会話もエスプリが効いていて、これは詩人としても活躍した著者の面目躍如だろう。そして改めて気付かされる、水俣病は人だけではなく自然と生態系を破壊したと、「苦海浄土」は水俣近代史そのものなのだと。雑誌連載から始まったルポが、壮大な作品に膨らんでいった。石牟礼自身は本作を浄瑠璃、即ち音楽劇の語り物に例えている。だから副題にも”わが水俣病”と付されている。これは私個人の意見だが、芸術は究極的に音楽に収束する。一般に個人の記録が芸術や文学を生むが、集団の記録が芸術文学を生み、更にその作品が歴史に記録される例は稀だ。そういう作品は紛れもなく傑作であり、芸術としても記録としても文学としても語り継ぐ必要がある。「苦海浄土」はその代表例だ。果たして福島から第2の石牟礼道子は出てくるだろうか?、いずれにせよ、浄土を願い戦い続けた全関係者に捧ぐ詩的鎮魂歌として、今後も文明と人権と国家の正当性を問う書物の役割を果たし続ける作品になることは間違いない。